将棋の駒の魅力 ー1ー
趣味の将棋の駒の事です。
私と駒の結びつきを纏めておこうと思います。
将棋は子供のころから指していましたが、将棋の駒に興味を持ち出したのは昭和50年以降です。
将棋世界や将棋マガジンに載る盤駒店の広告を毎回楽しみに見ていました。その中で、将棋の駒に特に力を入れているのが駒込の丸八碁盤店であることをしりました。一番最初に駒を購入したのが昭和57年2月9日『竹風作 昇龍書 柾目 盛上駒 12万円』でした。この金額は、いまでこそ盛上駒としては低価格ですが当時の私にとっては大金でした。生まれてこれ以上高い買い物をしたことがなかったからです。丸八碁盤店ではその後、『竹風作 無剣 赤柾 盛上駒 40万円』ほか全部で5組購入。また、時を同じくして本所吾妻橋の佐藤敬商店で昇龍斉という書体の盛上駒を購入しました。
丸八碁盤店は、駒込本店や今は閉店になりました銀座店に良く出入りして鬼頭さんから駒についての教えを受けました。その時の一言、『駒は作者、書体、制作方法が色々あり、一度はまると病気のようにその後やめられなくなってしまいますよ』35年近く経った今、この言葉は重く感じています。
また、天童の佐藤敬商店の本所吾妻橋の店舗にも良く伺いました。駒は光匠作の6万円の盛上駒1つのみですが、駒台や駒箱を特注で依頼しました。
この当時購入した駒はその後オークションなどで手放し、現在は竹風作、無剣2組のみが手元にあります。(続く)
丸八碁盤店 領収証 竹風作 昇龍書 柾目 盛上駒 12万円
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丸八碁盤店で購入した、竹風作 無剣 赤柾(店では、赤柾として見られていましたが、荒柾に近い木地です。) 手元にあります。初代竹風が駒作りをしていたのは昭和49年までなのでこれは二代目の作品。
趣味の将棋の駒の事です。
私と駒の結びつきを纏めておこうと思います。
将棋は子供のころから指していましたが、将棋の駒に興味を持ち出したのは昭和50年以降です。
将棋世界や将棋マガジンに載る盤駒店の広告を毎回楽しみに見ていました。その中で、将棋の駒に特に力を入れているのが駒込の丸八碁盤店であることをしりました。一番最初に駒を購入したのが昭和57年2月9日『竹風作 昇龍書 柾目 盛上駒 12万円』でした。この金額は、いまでこそ盛上駒としては低価格ですが当時の私にとっては大金でした。生まれてこれ以上高い買い物をしたことがなかったからです。丸八碁盤店ではその後、『竹風作 無剣 赤柾 盛上駒 40万円』ほか全部で5組購入。また、時を同じくして本所吾妻橋の佐藤敬商店で昇龍斉という書体の盛上駒を購入しました。
丸八碁盤店は、駒込本店や今は閉店になりました銀座店に良く出入りして鬼頭さんから駒についての教えを受けました。その時の一言、『駒は作者、書体、制作方法が色々あり、一度はまると病気のようにその後やめられなくなってしまいますよ』35年近く経った今、この言葉は重く感じています。
また、天童の佐藤敬商店の本所吾妻橋の店舗にも良く伺いました。駒は光匠作の6万円の盛上駒1つのみですが、駒台や駒箱を特注で依頼しました。
この当時購入した駒はその後オークションなどで手放し、現在は竹風作、無剣2組のみが手元にあります。(続く)
丸八碁盤店 領収証 竹風作 昇龍書 柾目 盛上駒 12万円
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丸八碁盤店で購入した、竹風作 無剣 赤柾(店では、赤柾として見られていましたが、荒柾に近い木地です。) 手元にあります。初代竹風が駒作りをしていたのは昭和49年までなのでこれは二代目の作品。
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